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   ホーム > 言葉と制作例 > 四字熟語 51-1/2 【積善余慶・脚下照顧・有備無患・一所懸命・実践躬行】
 
     「言葉と制作例」 四字熟語
   積善余慶(せきぜんよけい)






先祖が積んでくれた善行の報いとして、子孫に幸福が訪れるの意。「積善」は善行を積み重ねるの意。「余慶」は子孫まで何代も続く幸福の意。

安岡正篤
健康の三原則
第一に心中常に喜神を含むこと。
(神とは深く根本的に指して言った心のことで、どんなに苦しいことに逢っても心のどこか奥の方に喜びを持つということ。)

第二に心中絶えず感謝の念を含むこと。

第三に常に陰徳を志すこと。
(絶えず人知れずよいことをしていこうと志すこと。)
 

    脚下照顧(きゃっかしょうこ)








身近なことに十分気をつけることの意。「脚下」は、足もと。「照顧」はよく照らしかえりみるの意。禅の言葉で自分の本性を見つめよとの教え。また、日常のすべてが修行で、日常生活、身近な足下にこそ真理がある、喜びもまた同じと。

松下幸之助
自己観照  
自省の強い人は、自分というものをよく知っている。つまり、自分で自分をよく見つめているのである。私はこれを“自己観照”と呼んでいるけれども、自分の心を一ペん自分の身体から取り出して、外からもう一度自分というものを見直してみる。これができる人には、自分というものが素直に私心なく理解できるわけである。  
こういう人には、あやまちが非常に少ない。自分にどれほどの力があるか、自分はどれほどのことができるか、自分の適性は何か、自分の欠点はどうしたところにあるのか、というようなことが、ごく自然に、何ものにもとらわれることなく見出されてくると思うからである。

後藤静香
過分
わたしは自分のまわりをみる/わたしの物と名のつく品の多いこと/生まれた時は何にも持って来なかった/私はどこへ行っても/知った人が沢山あって/深いご縁の方が多い/長い年月(としつき)変わりもせず/何かしらお世話になる/もったいない/こんなに恵まれて/いいのだろうか

菜根譚
●夜深人静、独坐観心、始覚妄窮而真独露、毎於此中、得大機趣     
○夜深く人静かなるとき、独り坐して心を観ずれば、始めて妄(もう)窮(きわ)まりて、真(しん)独り露(あら)わるるを覚ゆ、つねにこのうちにおいて、大機趣(だいきしゅ)を得(う)   
■夜深く人も静まったとき、座禅を組んで自分自身の心を観れば、妄想が消え真実の物事が現れてくる。この中から、前進への意欲と自信が得られるのだ。  

前集146項
●一燈蛍然、万籟無声。此吾人初入宴寂時也。暁夢初醒、群動未起。此吾人初出混沌処也。乗此而一念廻光、烱然返照、始知耳目口鼻皆桎梏、而情欲嗜好悉機械矣。
○一燈蛍然(いっとうけいぜん)として、万籟(ばんらい)声無し。此れ吾人(ごじん)初めて宴寂(えんじゃく)に入(い)るの時なり。暁夢(ぎょうむ)初めて醒め、群動(ぐんどう)未(いま)だ起こらず。此れ吾人初めて混沌を出ずる処なり。此れに乗じて一念光りを廻らし、烱然(けいぜん)として返照(へんしょう)せば、始めて耳目口鼻、皆、桎梏(しつこく)にして、情欲嗜好(じょうよくしこう)は悉(ことごと)く機械たるを知る。
■夜は更(ふ)け、明かりも消えかかる時、全ての物音が途絶える。この時、私は初めて坐禅をして心身とも静かに安定し真理を探究する。夜が明けつつも、未だに万物は動き出さない。この時、私は初めて混沌から抜け出す。このような状態で私は智慧を廻らせ、自分の本性を反省しつつ真実を探求すれば、感覚器官の全ては本来の心(仏心)を束縛する足かせで、煩悩(物欲・情欲)が仏心を操り惑わす仕組みであることが解る。つまり、深夜に一人、独坐すれば、自分の本来の心と対話ができ、日常の雑多な情報こそが、煩悩を操る「魔」であることが解り、一見では価値がある情報も、仏心(自分本来の心)の活動を妨害していると体現できる。
 

   有備無患(ゆうびむかん)






備えあれば患い無し、とも 。あらかじめ十分準備を整えておけば、何が起こっても心配いらないということ。

日ごろから準備しておけば、いざという時に困らないということ。一般的には「備えあれば患いなし」と訓読みする。

松下幸之助
先見性を養う
先見性を持つことは指導者にとってきわめて大切なことだ。先見性を持てない人は指導者としての資格がないといってもいいほどである。時代というものは刻々と移り変わっていく。きのう是とされたことも、きょうは時代遅れだということも少なくない。  だから、その時代の移りゆく方向を見きわめ、変わっていく姿を予見しつつ、それに対応する手を打っていくことによって、はじめて国家の安泰もあり、企業の発展もある。 一つの事態に直面して、あわててそれに対する方策を考えるというようなことでは、物事は決してうまくいかない。心して先見性を養いたいものである。

二宮尊徳
夜話57 予先年印旛沼(いんばぬま)、掘割見分の命を蒙(こうむ)りし時、何様の変動に遭遇しても、決して失敗なき様に工夫せり。(中略)予が異変ある事を前に定めたるは、異変を恐れず、異変に躓(つまず)かざるの仕法なり。是れ大業をなすの秘事なり。

夜話13
世の中に事なしといへども、変なき事あたはず、是れ恐るべきの第一なり。変ありといへども、是れを補ふの道あれば、変なきが如し。変ありて是れを補ふ事あたはざれば大変に至る。古語に三年の貯蓄なければ、国にあらず。(中略)家も又然り。

同上
人は云ふ、わが教へ、倹約を専らにすと。倹約を専らとするにあらず。変に備へんが為なり。人は云ふ、わが道、積財を勤むと。積財を勤むるにあらず、世を救ひ世を開かんが為なり。

夜話127
豊かさと貧しさは、元々遠く隔たっているものではなく、僅かの隔たりでしかない。その本源は、ただ一つの心得にあるのである。貧者は、昨日のために今日働き、昨年のために今年働く。そのために、いつも苦しんでいて、働きの効果が出ない。富者は、明日のために今日働き、来年の為に今年働くことから、余裕をもって仕事に臨むことが出来るのだ、することが殆どうまくいく。ところが、世間一般の人は、今日飲む酒が無い時には借りて呑み、今日食べる米が無い時にはまた借りて食べる。これが貧乏する原因である。

夜話194
人の世の災害では、凶作による飢饉よりも甚だしい被害を与えるものは無い。昔から、凶作、飢饉は六十年間には、必ず一度はあると言い伝えられてきている。只、飢饉だけではなく、大洪水、大風、大地震、その他の非常災害も、六十年に一度くらいは、必ずある。たとえ、無い時でも、必ずあるものと心に決めて、有志で申し合わせて、金や穀類を蓄えておくことである。穀類を貯蔵するには、籾と稗を一番に貯蔵することである。水田の多い村では、籾を備蓄し、畑の多い村では、稗を備蓄しておくことである。

吉田松陰
●敬は乃ち備なり。武士道にて是れを覚悟と言う。論語に「門を出でては大賓(たいひん)を見るが如し」と云う。是れ敬を説くなり。呉子に「門を出ずるより敵を見るが如くす」と云う。是れ備(そなえ)を説くなり。竝(なら)びに皆覚悟の道なり。敬・備は怠(たい)の反対にして、怠は即ち油断なり。武士たる者は行住座臥(ぎょうじゅうざが)常に覚悟ありて油断なき如くすべしとなり。
■敬うとは備えることである。武士道ではこれを覚悟という。論語に「家の門を出てから他人と接するときには、高貴の客人の時のように敬いなさい」という。これが敬を説いている。呉子では「門を出たときから、敵を見るようにしなさい」という。これは備えを説いている。共に覚悟のあり方である。敬うことと備えることは怠ることの反対であり、怠るとは油断である。武士というものは、日頃から常に覚悟をし、油断のないようにすべきとのことである。
  *呉子---孫子と並び称される兵法書

菜根譚
前集8項
●天地寂然不動、而気機無息少停。日月昼夜奔馳、而貞明万古不易。故君子、闔棊v有喫緊的心思、忙処要有悠闢I趣味。
○天地は寂然(せきぜん)として動かずして、而も気機は息(や)むことなく、停まること少(まれ)なり。日月は昼夜に奔馳(ほんち)して、而も貞明(ていめい)は万古に易(かわ)らず。故に君子は、闔栫iかんじ)に喫緊(きつきん)の心思うるを要し、忙処(ぼうしょ)に悠閨iゆうかん)の趣味あるを要す。
■天地はひっそりとして動かないように見えるが、働きを止めることはなく、太陽や月の明るさは永遠に変らない。平穏無事なときは万一の場合に備えることを忘れず、いったん有事の際には悠々たる態度で対処するよう心がけなければならない。

前集26項
●飽後思味、則濃淡之境都消、色後思婬、則男女之見尽絶。故人常以事後之悔悟、破臨事之癡迷、則性定而動無不正。
○飽後(ほうご)、味を思えば、則(すなわ)ち濃淡の境(きょう)都(すべ)て消え、色後、婬(いん)を思えば、男女の見尽(けん・ことごと)く絶ゆ。故に人つねに事後の悔悟(かいご)をもって、臨事の癡迷(ちめい)を破らば、則ち性定まりて、動くこと正しからざるはなし。
■十分に腹を満たした後に、味を考えると、濃い薄いなどなくなり、事後の欲情を考えると男だ女だという考えは消えてしまう。つまり、事後に起きる「後悔」の本質を知り、無駄な時間の存在を無くすように考慮して生きたいものです。

前集68項
●天之機緘不測。抑而伸、伸而抑、皆是播弄英雄、顛倒豪傑処。君子只是逆来順受、居安思危。天亦無所用其伎倆矣。
○天の機緘(きかん)は測られず。抑えて伸べ、伸べては抑え、皆是れ英雄を播弄(ばろう)し、豪傑を顛倒(てんとう)する処なり。君子は只だ是れ、逆に来たれば順に受け、安きに居りて危きを思うのみ。天も亦其の伎倆(ぎりょう)を用(もち)うる所無し。
■天のカラクリは予想を超える。押さえつけたかと思えば伸ばし、伸ばしたかと思えば抑え、英雄を翻弄し、豪傑の足をすくって転ばしてしまう。しかし、上に立つ賢明な人物は、向かい風が吹いた時は、追い風と受け止め、安全な時に危機を意識する。よって、天でも、そのような者を妨害することはできない。

前集86項
●閑中不放過、忙処有受用。静中不落空、動処有受用。暗中不欺隠、明処有受用。
○閑中に放過(ほうか)せざれば、忙処(ぼうしょ)に受用(じゅよう)有り。静中に落空(らっくう)せざれば、動処(どうしょ)に受用有り。暗中に欺隠(ぎいん)せざれば、明処(めいしょ)に受用有り。
■閑な時でも無駄に時を過ごさなければ、忙しい時にそれが役立つ。静かな時に何かに取組んでいれば、事ある時にそれが役立つ。誰も見ていない時でも悪を遠ざけていれば、人前でもそれが役立つ。

前集185項
●処富貴之地、要知貧賤的痛癢、当少壮之時、須念衰老的辛酸。
○富貴の地に処(お)りては、貧賤の痛癢(つうよう)を知らんことを要し、少壮の時に当りては、須(すべか)らく衰老の辛酸を念うべし。
■人間、富める時には貧しい人の気持ちを理解し、若く元気な時には年老いて衰えた人の辛さを思いやること。つまり、備えよ常に。
 

   一所懸命(いっしょけんめい)








命がけで物事に取り組むこと。本気で打ち込む様。
※「一所懸命」は、「昔、武士が賜った『一か所』の領地を命がけで守り、それを生活の頼りにして生きたこと」に由来した言葉。現在は「一生懸命」と書くことが多い。

坂村真民
命がけ
命がけということばは/めったに使っても言っても/いけないけれど/究極は命がけでやったものだけが/残ってゆくだろう/疑えば花ひらかず/信心清浄なれば/花ひらいて/仏を見たてまつる/この深海の真珠のような/ことばを探すため/わたしは命を懸けたといっても/過言ではない/人間一生のうち/一度でもいい/命を懸けてやる体験を持とう

精一杯
すべてのものが/精一杯/生きているのだ/蟻も蜜蜂も/精一杯/働いているのだ/それが生命を与えられたものの/真の姿だ

松下幸之助
人間としての努め
命をかける──それは偉大なことです。命をかける思いがあるならば、ものに取り組む態度というものがおのずと真剣になる。したがって、ものの考え方が一新し、創意工夫ということも、次つぎに生まれてきます。お互いの命が、生きて働くからです。
そうすると、そこから私たち人間が繁栄していく方法というものが、無限にわき出てくると言えるのではないでしょうか。この無限にひそんでいるものを一つ一つ捜し求めていくのが、人間の姿であり、私たちお互いの、人間としての勤めであると思います。もうこれでいい、けっしてそう考えてはならない。それは人間の勤めを怠る人だと私は思います。

命をかける
「人多くして人なし」という言葉を、昔ある先輩から聞いたことがある。考えてみると、会社経営においても普通の状態では、間に合う人は大勢いる。ところがさて、大事に臨んで間に合う人はというと、きわめて少ないものである。
では、どういう人が大事のとき役に立つか。その道の知識とか経験が大きな比重を持つことは当然だが、ただそれだけではダメのように思う。その上に何が必要かというと、「生命を賭す」気構えである。と言っても今日ではほんとうに命を捨てるということはきわめて少ないが、いざというときには「命をかけて」という気構えを、いつの場合でも持っている人が、ほんとうに大事に役立つ人だと思うのである。

後藤静香
支える力
いのちをかけて/仕事を/してみよ/死なないことに/おどろく/かれは弱い/しかし/かれを支える力は/つよい
 

   実践躬行(じっせんきゅうこう)


身をもって実際に行う。口先だけでなく、まず行動せよの意。信条を自ら進んで行為にあらわしていくこと。

自分で実際に行動し実行することの意。「実践」は実際に行う、「躬行」は自分自身で行うの意。

坂村真民
実践
一にも実践 二にも実践 三にも実践 森信三先生の偉さは この実践にある

小さい実践
二度とない人生だから 一匹のこおろぎでもふみころさないように こころしてゆこう どんなにかよろこぶことだろう 
これは華厳の教えの実践化である。口でどんなに高邁なことを講演しても、行いが伴わなかつたら、それは灰にも等しく、あの世では奈落に降ちてゆくだけである。(中略)
わたしが尊ぶのは実践である。一匹のこおろぎでも踏み殺さないという小さい実践である。


森信三  
実行の伴わない限り、いかなる名論卓説も画いた餅にひとしい。

極端に言えば、小中学校では尊徳翁の「報徳記」と「夜話」とを読ませれば、修身書はいらぬとも言えるほどです。教科書を躬(み)をもって突き抜けていくだけの信念がなくては、何を言ってみたとて無駄なことです。

松下幸之助
小田原評定では……  
多くの会社では決起大会をやり、反省すべき点や、今後の目標を確認しあいます。しかしそれも、こうしなければならないということはわかった、というだけではいけない、実行がなければいけません。実行ができない限りは、百の決起大会を行なっても、それは費用を使うだけ、時間を使うだけに終わってしまいます。  
昔の話に小田原評定ということがあります。大軍が攻めてくるということに対して、小田原城の人は、評定に明け評定に暮れてついに負けてしまったという話です。それではいけない、評定は一回でよい、あとは実行だ、そうしてこそ、はじめて成果をあげられるのです。一にも実行、二にも実行です。

後藤静香
一片のパン
義は行うて義なり/善は行うて善なり/義を行うものを義人と言い/善を行うものを善人という/なんじ自らを説明する前に/なんじの行うところを示せ/財宝、学識、体力、権力/それはただ見せるためか/うえたる者は見せられたる万金よりも/与えられたる只一片のパンで生きる

批評家よ
幕の穴からのぞいて/何か見えるか/そんなに遠方に立って/何か聞こえるか/見えない所で見てわからぬという/聞こえないところで聞いて聞こえぬという/批評家よ/本当に見たいなら/来りてみよ/本当に聞きたいなら/すわって聞け

二宮尊徳
金言集
一理を学べば一理を行へ。

夜話140
朝夕に善を思うふといへども、善事を為さざれば、善人と云ふべからざるは、昼夜に悪を思ふといへども、悪を為さざれば、悪人と云ふべからざるが如し、故に人は悟道治心の修行などに暇を費やさんよりは、小善事なりとも、身に行ふを尊しとす、善心起こらば、速やかに是を事業に表すべし、親ある者は親を敬養すべし、子弟ある者は子弟を教育すべし、飢人を見て哀と思はば、速に食を与ふべし、悪き事仕たり、われ過てりと心付とも、改めざれば詮なし、飢人を見て哀と思ふとも、食を与へざれば功なし、故に我が道は実地実行を尊ぶ、夫れ世の中の事は実行にあらざれば、事はならざる物なればなり。
 



主な引用の出典
著 作 者 書 名 出 版 社  
坂村真民 『坂村真民一日一言』 人生の詩、一念の詩 致知出版社
安岡正篤 『安岡正篤一日一言』 心を養い、生を養う 致知出版社
森信三 『修身教授録 一日一言』 
『森信三・魂の言葉』 二度とない人生を生き抜くための365話 
致知出版社
PHP研究所
松下幸之助 『松下幸之助「一日一話」』 仕事の知恵 人生の知恵 PHP研究所
後藤静香 『権威』 珠玉の言葉があなたを変える 善本社
中村天風 『中村天風一日一話』 元気と勇気がわいてくる哲人の教え366話 財団法人天風会
吉田松陰 『吉田松陰一日一言』 魂を鼓舞する感奮語録 致知出版社
二宮尊徳 『二宮尊徳一日一言』 心を耕し、生を拓く 致知出版社
佐藤一斎 『佐藤一斎一日一言』 「言志録」を読む 致知出版社
洪自誠 『菜根譚』


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