「座右の銘」を木に刻むことをお勧めするために、四字熟語を中心とした「刻語」の自作例を掲載しているサイトです。

座右の銘を刻む、四字熟語を主に制作しています。

   ホーム > 言葉と制作例 > 四字熟語 1-2/2 【積小為大・愚公移山・刻苦勉励・継続力也・朝鍛夕錬】
 
        「言葉と制作例」 四字熟語
   積小為大(せきしょういだい)



「徳業十訓」より
小を積みて大と為す。
何事も順というものがあり、気にはやって速成を願ってはならないという戒め。小は自らの身の丈にあったもの、平凡なものでありそれが集積されるとやがて大なるものとなる。
大事をしようと思えば小事を怠けず励まなければならない。積み重ねこそが、大きな事を生み出すということ。二宮尊徳の言葉。

宮本武蔵の「五輪書」に「千里の道も一足ずつ運ぶなり」とある。
長い道のりでも一歩ずつしか進まない。逆に言えば一歩ずつは進むのだ。残りの距離はまちがいなく着実に減っていく。

松下幸之助
一歩一歩の尊さ  
仕事はいくらでもある。あれも作りたい、これもこしらえたい、こんなものがあれば便利だ、あんなものもできるだろう、と次から次へと考える。そのためには人が欲しい、資金が欲しいと願うことには際限がないが、一歩一歩進むよりほかに到達する道があろうか。それは絶対にない。やはり、一歩一歩のつながり以外に道はない。坦々たる大道を一歩一歩歩んでゆけばそれでよい。策略も政略も何もいらない。一を二とし、二を三として一歩一歩進んでゆけばついには彼岸に到達するだろう。欲しいと願う人も一人増え、また一人増えてついには万と数えられよう。一歩一歩の尊さをしみじみ味わわねばならぬ。

二宮尊徳
語録302
大事を成さんと欲すれば宜(よろ)しく先ず小事を務むべきなり。大事を成さんと欲して小事を怠り其の成り難きを憂えて、成り易きを務めざるは小人の常なり。小事を務めて怠らざれば則ち大事必ず成る。小事を務めずして怠る者は庸(いずく)んぞ大事を成すを得んや。

報徳論
先生曰く凡そ細を積みて大を為し、微を積みて広大に至るもの自然の道なり。譬えば天下の耕田の如し。幾億万町といへども春耕秋収一畝の余すことなき者何ぞや。他なし一鍬を重ね以て耕し一鎌を重ねて以て刈り怠らざるに在るのみ。況や荒蕪の地一鍬を積みて以て怠らざれば、幾万の廃地といへども之を挙ぐるに何の難きことかえあらん。 同上 先生曽て曰く、凡そ事を成さんとして成就せざるものは速かなることを欲し、一挙にその業を遂げんとするが故なり。幾万の廃地を開かんとするも一鍬より始め、幾百邑を再復せんとするも必ず一邑より始む。一邑全く成りて然る後その二に及び、順を以て十百千万に至る。譬えば一歩を積みて千里の遠きに至るが如し。

第百六十三話
大きく見えるものも、総ては小さいものから構成されている。小さいものを侮ってはならない。
二宮尊徳翁は次のように話された。
世の中の人は、大きい、小さいということを言うが、その区別の仕方には決まりはないし、区分する境界は限りなく設定できる。米の量を数えるにも、浦賀港では大船で一艘、二艘と数える。蔵前では三蔵、四蔵と言って数える。これらの数え方では、俵に入った米などは、数を為さないようである。しかし、それらの数え方をする米であっても、特別に粒の大きい米ではなく、普通の米なのでしかないのである。一升の量の米粒数を数えれば、六、七万粒はあるであろう。たった一握りの米でも、その数は非常に多い。しかも、その量の米でさえ、その生み出す効用は非常に大きいのである。春に種を蒔いて、稲として発芽させ、風雨や寒暑を凌いで、花が咲き、実がついて、やがて刈入れ、こきおろし、搗き上げて白米とするまでの丹精は、容易なものではない。まさに、粒々辛苦と言うべきである。我々人間は、その粒々辛苦によって得た米粒を、日々無数に食べて命をつないでいる。その功徳はまた無数に上るのである。それであるから、人々は、小さな行為を重ねていくことを尊ぶのである。このことを良く覚えておく必要がある。私が行っている事業で日課としている縄綯いの方法なども、人々は疑わないで実施してくれている。それは、小さいことでも、積み上げれば大きくなるということを知ったからである。
一房の縄綯いでも、自分たちの所得の元であり、そこからの利益は、平等に与えられる正しい行ないである。それは、国家復興の出発点となる行為である。
いまここに、大金持ちがいるとする。その先祖を尋ねれば、その人は、一鍬が与えてくれた効用、利益を元にして、それらの小さい効用、利益を積み上げて富を築いたに相違無い。
大船の帆柱、永代橋の橋柱などに用いる大木でさえも、一粒の木の実から生まれ、幾百年の星霜を経て寒暑、風雨の艱難を凌いで、日に夜に精気を蓄積して成長してきた賜物なのである。
しかし、そのような昔の木の実だけが、大木に成長するのではない。今の木の実もまた、将来、大木になることは疑いの無いことである。
昔の木の実が今の大木になり、今の木の実が後世の大木になるのであることを、良く理解して、大きいことを羨ましがらず、小さいことでも辱かしがらずに、速効性だけを求めず、日夜怠らずに少しずつでも、継続して行動することが肝心である。「昔蒔く木の実、大木と成りにけり、今蒔く木の実、後の大木ぞ」
 

    愚公移山(ぐこういざん)




愚公、山を移す。根気よく努力し続ければ、ついには願いがかなうというたとえ。

根気よく努力を重ねれば、最後には必ず成功することのたとえ。
愚公という老人の家の前に山があり、不便を強いられていたので、山を切り崩し始めた。無理と嘲笑する周囲に、子々孫々の代まで続ければ成功すると返して続けた。天帝はこれに感心し、山を移したという故事。

坂村真民
一貫
一以って貫く/わたしは/これが好きだ/わたしは/愚か者だから/これしか/できないのだ/一貫の詩/一貫の愛/一貫の師/これが/しんみんの/生き方だ 
 

   刻苦勉励(こっくべんれい)






苦しみに耐えつつ、力を尽くして仕事や勉学に励むこと。
「刻苦」は身を刻む苦しみ。「勉励」は勉め励むこと。心身を苦しめるほどに、ひたすら努力を積み重ねること。


 

   継続力也(けいぞくはちからなり)





「念願は人格を決定す 継続は力なり」
※注:これは造語であり、伝統的な四字熟語ではありません。
「継続是力」でもよい。

森信三
すべて物事には基礎蓄積が大切である。そしてそれは、ひとり金銭上の事柄のみでなく、信用に関しても同じことが言えます。否、この方がはるかに重大です。

後藤静香
貫行
なんでもいい 善と信じたことを ただ一つでも続けてみよ 何が続いているか 三年 五年 十年 つづいたことが 幾つあるか 一事を貫きうる力が 万事をつらぬく

吉田松陰
●天道も君学も一つの誠の字の外なし。(中略)一に曰く実なり。二に曰く一な り。三に曰く久なり。(中略)故に実と一とを作輟なく幾(いく)久しく行ふ こと、是れ久なり。
■世間一般の道も、君子たるの学問も誠の字のほかにはない。(中略)一にいう、 実際に役に立つことを行うことである。二にいう、それだけを専一に行うこと である。三にいう、ずっと行うことである。(中略)ゆえに、実学を専一に、やったり止めたりすることなく、ずっと行うこと、これが久である。
 


   朝鍛夕錬(ちょうたんせきれん)




宮本武蔵は「五輪書」で千日の稽古を鍛とし万日の稽古を錬とす。との厳しい稽古を説いた。
----------------------------------------------------------------------
坂村真民
四文字
朝鍛/夕練/何といういい言葉であろう/華厳の行者になるには/この四文字をいつも丹田に置き/刻苦精進しなければならぬ/みめいこんとんの刻に起き/己を磨かねばならぬ

森信三
われわれ凡人は人生のある時刻において、何らかの意味でかようなきびしい鍛錬をその師から受けない限り、真の人間とはなれないのではないのでしょうか。

松下幸之助
暮らしが豊かになればなるほど、一方で厳しい鍛練が必要になってくる。つまり、貧しい家庭なら、生活そのものによって鍛えられるから親に厳しさがなくても、いたわりだけて十分、子どもは育つ。けれども豊かになった段階においては、精神的に非常に厳しいものを与えなければいけない。その豊かさにふさわしい厳しさがなければ、人間はそれだけ心身ともになまってくるわけである。

苦労を希望に変える  
仕事のコツを体得するということは、決して楽なわざではないと思います。相当精魂を込めてやらなければならないと思うのです。それはやはり一つの苦労だと考えられます。しかし苦労であっても、それをやらなければ一人前になれないのだということを、青少年の間から、常に先輩に聞かされていますと、それは苦痛でなくなってくるのです。それは希望に変わるのです。ですから、そのコツを体得することに対して精魂をかたむけるということができてくると思います。そのように、いろいろむずかしい問題にも、心を励まして取り組んでいくところに、自己の完成というか、自己の鍛えがあると私は思います。

後藤静香
鍛錬
きたわれない人間は/温室のやさいのように/形はととのっても香気が足りぬ/香気は気品である/雪霜にうたるればこそもみじ葉も/にしきをかざる秋は来にけり/逆境ほど/人間を鍛えてくれるものはない

安岡正篤
陶冶する
最高の教育を受けた人間も、その後の自己陶冶を欠いては、立派な人間には成り得ない。ごく劣悪な教育も、自己陶冶によっては、なお改善され得るものである。 いかにも人間は陶冶次第です。 「陶」というのは、焼物を造る、「冶」というのは、冶金の冶で、金属を精錬することであります。土を粘り、焼いて、陶器を造る。鉄を鍛えて鉄器をつくるようなもので、人間もやはり、焼きを入れ、鍛えるということをやらなければ、ものになりません。いくつになってもそうであります。

中村天風
鋼鉄を鍛えるが如く
自己陶冶とは自己の人格を向上させることで、あたかも鋼鉄を鍛えるのに等しい。鋼鉄は鍛えれば鍛えるほどその質を良好にする。人間も自己を陶冶すればするほどその人格は向上する。 自己陶冶を等閑視すると人間を向下せしめるような消極的の暗示や価値のない誘惑にわれわれの精神が感応しやすくなり、反対に自己の向上に必要な積極的の暗示や、または正しい自覚を促す真理に感応しなくなる。その結果、人生苦のみを多分に味わうことになるのである。

二宮尊徳
鋼鉄は焼き、冷し、打ち、敲(たた)き、焼き、冷し、打ち、敲きて而して後、始めて折れず曲がらむものとなるなり。人も亦斯くの如し。

洪自誠 菜根譚
前集189項
●磨蠣当如百煉之金、急就者非邃養。施為宜似千鈞之弩、軽発者無宏功。
○磨蠣(まれい)は当(まさ)に百煉(ひゃくれん)の金の如く、急就(きゅうしゅう)は邃養(すいよう)に非ず。施為(しい)は宜(よろ)しく千鈞(せんきん)の弩(ど)の似(ごと)く、軽発(けいはつ)は宏功(こうこう)無し。
■自分自身を磨き上げるには、繰り返して練り鍛える金属のようにすべきで、簡単に行う修養ではあってはいけない。起業する場合は、強靭な石弓を放つ時のように慎重にすべきで、軽薄な起業では成功はしない。つまり、内面の問題であれ、外形の問題であれ、何事にも成果を出すには、慎重且つ堅実に行えということ。
 




Copyright(C) 2011 Couragingword. All Rights Reserved.